ドミニカ共和国 観光情報 

ドミニカ共和国の首都、サントドミンゴにやってまいりました。旧市街ZONA COLONIALに勤務中です。観光情報ちょこっとづつお知らせします。ドミニカに遊びに来るときに参考にしてください。

Museo Memorial de la Resistencia Dominicana


Museo Memorial de la Resistencia Dominicana

昨日6月14日だったので、Museo Memorial de la Resistencia Dominicanaに行ってみました。

こちらはドミニカ共和国が植民地から独立した歴史と、独裁者トルヒーヨの歴史を主に解説した資料館。

ほとんどが、トルヒーヨがいかによろしくない独裁者だったかということと、ミラバル姉妹の反トルヒーヨ政権活動についての資料です。

展示物が概ね文書なので全部読むのは体力と根気が必要だけど、興味があったら拾い読みしに行ってもいいかも。

場所がわかりにくいのが難点でしょうか。

 

Museo Memorial de la Resistencia Dominicana

行き方:ZONA COLONIAL内 CONDE通りからSánchez通りを右折、最初の角を左折した左手にあります。

入館料:150ペソ

時間:9:30~18:00 月曜休館

HP:http://www.museodelaresistencia.org/

住所: Calle Arzobispo Nouel # 210, Zona Colonial, Santo Domingo.
Telefono: (809) 688 4440

 

【参考】 

ミラバル姉妹について *ウィキペディアより

ミラバル姉妹はドミニカの上流層に生まれ、文化的に恵まれた環境で育った。長じては全員が結婚して子供を持った。ミラバル姉妹の父親は成功した事業者であったが、トルヒーヨ政権下で財産のほとんどを失うこととなり、姉妹はトルヒーヨがドミニカ共和国を経済混乱に陥らせていると考えるようになる。中でもミネルバはおじからの影響を強く受け、トルヒーヨの独裁を終わらせることに情熱を燃やすようになり、反トルヒーヨ運動に身を投じた。

 

その後他の姉妹が彼女の後を追い、「六月十四日運動」として知られる反トルヒーヨ政権グループを形成するに至る。グループ内で彼女達はLas Mariposasスペイン語で「」の意)と呼ばれた。姉妹のうち2人は幾度も投獄され、拷問を受けた。また、3人の夫全員がラ・ビクトリアに収監された。

 

このような運動の後退にも屈せず、姉妹はトルヒーヨの独裁政権と戦い続けた。投獄を何度も続けた後、トルヒーヨは姉妹を葬り去ることを決定する。1960年11月25日、姉妹が獄中の夫を訪ねた帰り道に、トルヒーヨの送った一群の男性が彼女達を捕らえた。非武装の姉妹はサトウキビ畑に連れ込まれ、殴打の後絞殺された。その後、彼女達の乗っていた車は、サンティアゴとプエルト・プラタの間にあるラ・クンブレの山から投げ落とされた。

 

トルヒーヨは、姉妹達を葬ったことで重大な懸案を取り除いたと考えていた。しかし、3姉妹の殺害は裏目に出た。ミラバル姉妹の死は大衆の大きな怒りを招き、その結果彼女達の死について、そして彼女達自身や、彼女達の死の理由について、ドミニカ共和国の人々の目を集めることとなったのだ。このような大衆の意識の変化が、6ヶ月後のトルヒーヨ暗殺の一つのきっかけになったと考えられている。

 

ミラバル姉妹はサルセド近郊のオホ・デ・アグアの、彼女達が晩年の10ヶ月を過ごした土地に3人ともに埋葬されている。またミネルバの夫、マノロも彼女達とともにこの地に眠る。この土地には彼女達の実家が建っており、現在では彼女達を記念する博物館として一般に公開されている。

 

姉妹の生き残りであるデデは博物館のそばに住む。その息子ハイメ・ダビド・フェルナンデス・ミラバルは、ドミニカ共和国大統領レオネル・フェルナンデスの政権一期目(1996年 - 2000年)に副大統領を務めた。ミネルバの長女ミノウ・タバレス・ミラバルは、1998年から上院議員を務める。